現実なんてあるのかな〜数字と心について

自分は会社経営をしている。

財務をみるのがとっても好きだ。

好きすぎて財務コンサルをやるほどである。

でも

その反面精神性も好きだ。

いまの企業や社会は、精神性をどこかにやって

仕事とプライベートは別

とか言って仕事をする時には仮面をかぶっているような気がする。

なんだろね。

まぁ、わかるけどね。

エゴだよね。

こんなことやったら損をするかも。

楽をしたい。

責任を取りたくない。

なにかをいいだしたら、やる事が増えて面倒だ。

弱みを見せたくな。

人から尊敬されたい。

などなど。

自分のエゴの声に阻まれて、自分を全部出せなくなっている。

自分で意識して出していないならまだいいが

仮面を被りすぎて仮面を被っていることすらわからてくなっている場合もある。

本当の自分はどこ?


目の前で色々なことが起きている。

良いこと、悪いこと。

でもその良いこと、悪いことって何?

何を基準にして良いことなの?

悪いことなの?

いまグラスが机から落ちて割れた。

これは良いこと?悪いこと?

雪が降ってきた。

これは良いこと?悪いこと?

大好きな彼女に別れを告げられた。

これは良いこと?悪いこと?

どっち?

そんなん、目の前で起こっていることはただの現象であって。

良いことも悪いこともない。

ただの出来事。

なんの意味もない。

それにどう意味付けをするのかは個人の心のあり方でしょ。

グラスは落ちて割れた。

ただそれだけ。

雪が降った。

ただそれだけ。

彼女にフラれた。

ただそれだけ。

それを大切にしていたグラスのに割れて悲しいと思うのは、あなたの気持ち。

ある人は、あのグラス嫌いだったから、割れてしまってラッキーと思うかもしれない。

それもその人の気持ち。

全部、起きていることには意味はない。

どう意味付けするかだけ。

だからね。

数字もそのように扱いたい。

数字は数字。

1は1だし、2は2。

でもその数字を使ってなにを測りたいかだ。

数字を目的にすることはしたくない。

「数字は人格!」とかいう経営者さんがいた。

これはこの人がそのように数字をとられているという心の表れ。

でも自分はまったくこの考えは受け入れられない。

それが自分の心のあり方。

どっちが良いも、悪いもない。

ただそれだけ。

でも自分がどのように世の中を見ているかによって現実は変わる。

そう現実は自分で作れるのだ。

心のあり方が変わると、現実が変わると良くいうけど、自分はちょんと違うと思っている。

現実が変わるのではなくて、起きている現実にどういう意味付けをするのかが変わるだけ。

現象は変わらない。

相変わらず、グラスは割れるし雪も降るし、大好きな彼女にもフラれてしまうのだよ。

でもそれをどう捉えるかで現実が変わるという事じゃないのかな。

でも心のあり方が変わったら、本人も変わるからグラスを割る確率は減るかもしれないし、好きになる対象も変わるかもしれないね。

うん。

そういった意味でも、現実は変わるかも。


話しは迷子になっているが、これでいつも通り。

順調である。

今日はそんな事を考えた。