ここのところ、ずーっと上手くいってなくてイライラしていた。
いや、上手くいっていないような気がしてイライラしていた。
いやいや、上手くいっていないと思ってイライラしている自分を作り出していた。
そうなのよ。
自分を縛るのはいっつも自分なんだよね。
人は誰でも濃淡はあるけども自分の信念を持っている。
その信念が人生に良い影響を与えていることもあれば悪い影響をもたらすこともある。
自分が自分らしく健やかに毎日がすごせるのなら良い影響。
逆に自分らしさを発揮できずに、ストレスを抱えるような生き方になってしまうようなら、悪影響。
でね、自分はこんな風に思っていたわけさ。
「人は希望に満ちた人生を送らなくてはならない」
ねっ。
これって別に悪いことじゃないよね。
決して。
でも、この考えの逆を読んでみると自己設定が見える。
「自分は希望に満ちた人生を送っていない」とね。
実際に、希望に満ちた人生を送っている人が、この言葉を発するのであればなんら問題なし。
だって、自己設定通りじゃない。
でも希望に満ちた人生を送っていない人(自分のことなんだけどね)がこの言葉を発したら、「こうならなくては!(希望に満ちた人生ね)」と変なエンジンが掛かってしまう。
希望に満ちた人生を送るためには、「あの人のようにしないと」「この人のようにしないと」と、どんどん自分自身を置いてけぼりにしていってしまのよ。
置いてけぼりにされた自分は、、、、。
こうしてどんどん、本来の自分と乖離していってしまう。
これがシンドイのよ。
だって自分は自分じゃない。
自分意外の何者でもないわけじゃない。
人に色々な性格があって、特性も違って得て不得手もあるわけじゃない。
似たような人はいたとしてもさ。
それなのに自分自身を否定して、誰々のようにならなくては!
なんて、そんなん無理やん!
いやね憧れの人がいて自分なりにその人を見習っていくならわかるけどね。
問題点は、「世の中それしかない!」と固執して考える考え方がやばいって事。
こだわりはあってもいいけど、固執は良くない。
考え方の幅をせまくする。
そして、さっきも言ったように、自分自身をどんどん置いてけぼりにして、自己肯定感をさげていってしまう。
「こんな自分じゃダメなんだ!」ってね。
だからちょっと考え方をずらしてみようか。
「人は希望に満ちた人生を送らなけれはならない」
(影にそのような行動を取らねばならぬという考えも含んでいるのだけど)
この考え方自体は別に悪くない。
でもさ考え方の幅を広げようよ。
これを無理やり言い換えて別の角度から見てようか。
「人は希望に満ちた人生を送らなくてもよい」
えーっ感じ。
そんなことしなくて良いって言い出したよ。
ではそれは何故ならばを考えてみる。
すると「人はもうすでに自分なりに人生を送っているから」
という考えが浮かんできた。
だって人はそれぞれ無意識に自分の性格で、自分なりに生きている訳じゃん。
でもその生き方のネガティヴなところ、自分が出来ていないところばかりに注目して、「人は希望に満ちた人生を送らねばならぬ」とか言っている訳。
もっとさ自分がすでにやっているところ、出来ているところを注目してあげようよ。
その上で、もっと希望に満ちたと言い出すのと全然違じゃない。
もう一個
「わたしは人に希望に満ちた人生を送るべきだと強要している」
これはどーよ。
してるしてる。
もうしまくり。
人にも強要して出来ていないやつみるとイライラしてるもんね。
これって完全に自分のイライラを人を投影してんじゃん。
ほらー、自己肯定感が低いから他人も肯定出来ていないじゃん。
最後にもう一個。
「人は希望に満ちた人生を送っても送らなくてもどちらでもよい」
それは何故か?
だってもうすでに生きてるじゃない。
自分は希望に満ちた人生を送っていない!と嘆いていてもすでに立派に何十年も生きているじゃない。
その中で、上手く言ったこと、上手くいかなかったこと。
色々あるけど、すでにもう生きているのよ。
希望に満ちてようと希望に満ちていなかろうとさ。
そこをまず尊重しようよ。
なんだかさ結局、いつも人と比べてどうだとか言っているだけなんだよね。
あの人に比べて、この人に比べってさ。
人にはそれぞれペースというものがあるじゃない。
各人の性格や体力やなんやら色々に基づいたペースってさ。
それを無視して(自分自身を無視して)生きていこうとしても若い時はパワーで押し切れるけど、歳とってくると無理がくるよね。
だからさ、自分が心地よいペースを保って生きていくのが良い。
心地よいペースややり方は人それぞれ違う。
参考にはなるけど、真似る必要はない。
守破離(しゅはり)なんて言葉もあるけど、生き方については自分のペースでオッケーじゃない。
その点を見失っていたよ。
人生をより良く生きていきたい。
そのためには努力は必要である。
でもその努力の仕方を間違えないようにしよう。
自分を否定するような努力は身を結ばない。
ていう感じ。
今日もありがとう。
おしまい。