情熱をもって生きる

昨日書いた記事を読み返してみた。

うーんと、かなり偏った考え方になっていたね。

被害者意識丸出しだね。

うんうん。

確かにそんな気分になっていた。

なかなか思い通りにいかない。

なのに自分ばかり責任を負わされている。

そんな感じやね。


ふーっ

今日読み返してみてなんか違うよねって感じた。

自分は経営者で責任を負っているから、社員より給料は高いし、時間で働くような働き方をしないでいられている。

だから責任があるのは当然じゃないか。

そんな風に思った。


じゃあなんであんな事を思ってしまったのか。

それは自分がしている仕事に情熱を持って取り組めていないからじゃねーのと思った。

世の中では、自分が好きな事をやろう、楽しめる事をやろと良くいうよね。

でも自分はその言葉にどうもしっくりこなくてね。

では自分にとってしっくりくる言葉ってなんだろう。

これが情熱って言葉だったのよ。

自分が情熱を持って取り組めるか否か。

そうそう情熱なんだよ。

情熱を持って、なし得たい事があればリスクを負うのだって苦じゃないよね。


昨日も書いたけど、自分は二代目社長。

親父から会社を継いだわけね。

でね、親父が作った会社の事業に対してなにか思い入れがあった訳ではない。

ただ義務感だけで経営していた。

社員もいるし、自分の生活もあるし。

そんな義務感でやっていたら、そりゃ責任をとりたくないわな。


で考えた。

ビジョンを持つのって大切だよねって、世の中ではよくいう。

自分もそう思って、今まで経営理念だとか、ビジョンだとかなんだか色々考えて来たのよ、経営者としても個人としても。

自分は何のためにこの人生を生きていたのか。

何のために会社を継いだのか。

何のために苦しい思いをしてきたのか。

何のために、、てね。

でもさ、なんかいつもしっくりこないのよ。

それっぽい事書くんだけど、うわべだけ取り繕ったような言葉でさ。

何処かから借りてきたような言葉の羅列でなんかしっくりこなかったんだよね。

で考えついたのが意外とシンプル。

自分のこれまでの人生を振り返ってみると「いかに自分らしく幸せにいきられるか」っていう事を追い求めていたのかと思い付いた。

だから自分は「人が自分らしく幸せに生きれる社会をつくる」というのがビジョンであると思い付いた。

思い付いたのはいいが、やや照れくさい。

だってさ、これって人間だれでも思っている事じゃないの。

みんなこれがわからなくて四苦八苦しているんじゃないの。

いままでだって色々な偉い人が同じ事言っているじゃんてね。

そう思ったさ。

でもいいの。

自分としてなんかしっくり来ているから。

これなら情熱を持って仕事に取り組み、生きていけそうだ。

そんな確信がなんとなく持てているだよね。

これを達成するためならと考えると、いま経営している会社の事業や社員も別物に見えてきたりしてね。

なんだろね、新しい靴を履いたようにシックリと来ていないが、こんな感じかな。

相変わらず、まとまらんな文章やね。

こんなところで本日も失礼いたしました。